2005 Jan 4 |
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男の子と女の子 |
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ムスメは今月末で三歳。ムスコは6ヶ月。うちには女の子のおもちゃが溢れているのに、ムスコは数少ない車や電車のおもちゃが好き。
先日甥っ子達と遊ぶ機会があった。甥っ子達はムスメの一つ上、幼稚園に通っている。クリスマスプレゼントでは夫と共に慣れないガンダム・仮面ライダー・ウルトラマン、もちろんデカレンジャーに振り回された。全然分からないし(苦笑)もちろん会って遊ぶ時にも常に剣が腰にかけられていたり、ピストル代わりの何かがあったり。なにやら変身シーンの決めぜりふを言ったりしている。 対してムスメ。スカートの端をちょっとつまんでくるんと回り、「私はプリンセスです」って首を傾ける。完全に女の子だ。ピンクが好き。ひらひらが好き。ブームはプリンセスでコンパクトやリップクリームを欲しがり、お出かけにはバッグは欠かさない。 そんな姉がいるのに不思議だよ。ムスコはムスメが大好きだったうさぎちゃんのお人形(噛むとぴゅーって音が鳴る)は見向きもせずに、ちっちゃなチョロQに向かって突進する。プラレールの電車に目をまんまるくして手足をばたつかせて大喜び。 男の子みたいに育てようと思った覚えはない。もちろんムスメもそう。赤ちゃんの頃は男の子に間違えられたくなくて、若干ふりふりの女の子ちっくな服も多かったけど、歩くようになってからはパンツスタイルが多くなった。あまりピンクも着せていない。なのに本人はプリンセスのように育っちゃうんだもん。 ムスコもきっと姉のおもちゃには見向きもせず、私の分からない車や電車の種類を言うような子供になるのかな。男の子は好きになるというトーマスに惹かれ、それから戦隊モノへ。。。あんまりそういうのにはまって欲しくはないけど(苦笑) アンパンマンはすごいよねえ。男女共通だもの。そしてほとんどの子供が通る道。うちはムスメには見せた事もなかったのに、どこに行ってもアンパンマンはいるから覚えてしまったよ。ムスコもきっとはまるんだよね。ようやくストーリーが分かるようになったムスメ。どこでも大声でアンパンマンの歌を歌ってしまうのも最近のブームですわ。 |
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2005 Jan 3 |
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今年もよろしく |
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2005年も明けましたね。皆様明けましておめでとうございます。
今年もスキンの方は時々更新だと思いますが(かつては毎日更新だったのに・・・)見捨てずによろしくお願いします。 年明けの瞬間、皆さんはどんな風に過ごしていたのでしょうか。 私はムスコがちょうど夜泣きをして授乳している最中でした。 私は子供の頃からすごくすごくカウントダウンが嫌いでした。 なぜならノストラダムスの大予言が怖かったからです。 年が明ける事はその日に近づいてしまう、という事を意味していたので、とにかく大晦日のカウントダウンをしている瞬間を見たくなくて、テレビを消したり別室に行ったりしてやり過ごしたものでした。 もっとも大晦日に年明けの瞬間を見られるようになったのは大学に入った頃。父が厳しくそれまで10時就寝を決められていた私はそんな遅くにテレビを見ている事などなかったのです。 そんな私の苦手なカウントダウンも、実際に2000年の年明けを迎える頃には「苦手な理由」がなくなってしまいました。え〜あんなに信じてたのに、って思いました。 私が思い描く将来像はたいてい1999年の大学生や新社会人辺りで止まっていましたし、その後結婚している姿など銅像もしなかったのは言うまでもありません。 だからどうしましょ、って感じでしたね(笑)想像していなかった未来が見えてきて。 2000年頃にはそれでもまだ苦手だったカウントダウン。それまで嫌いだったものがそんなに急に好きになれるはずもなく。 でもさすがに2005年の年明けのカウントダウンは何の感情もありませんでした。 新しい年だ〜って実感もなかったし。 その瞬間にテレビに出てくる人の着物率が上がり、みんなが「おめでと〜」って言ってるのは何だか不思議ですよね。 2004年は災害なども多かったし、良いニュースが少なかったように思います。私自身は出産で新しい生活が始まったけど、あっという間に駆けてきたという感じ。 今年はもう少し世の中に笑顔が増えて、私も落ち着いて日々過ごせるように、と思っています。 ムスメが幼稚園に入ってしまうのが、たぶん今年一番のニュースになりそうです。やっぱり…寂しいです。 |
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2004 Dec 28 |
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疳の虫について |
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先日、私が通っている病院で鍼灸師の人と話をしたので、ふと思い立って。
ちなみに私は上の子妊娠後腰痛になり今でも慢性腰痛、ヘルニアに近いかも。それでリハビリに通っているのだ。鍼は受けていないけど、勧められている。痛そうで怖いんですけど。 娘はとにかく良く泣く子で、夜泣きもひどかった。いや、来月三歳になる今でも時々夜泣きをする。こういう子は疳の虫が強い、と一般的に言われる。三ヶ月コリック(黄昏泣き)と言われる頃の私の育児メモを抜粋。 -*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-* 余りにも寝愚図りもひどく、本人も苦しそうだったので、なんとかしたいと思うようになりました。夜一時間おきに起きるのもそうらしい。かまいすぎも良くないとの事。私がだっこしすぎたのかなあ。。。疳の虫退治にはいろいろあって、手をぬるま湯で洗い、手のひらに虫という字を書き、 「アビラウンケンソワカ」と呪文を唱えて指先から白い糸のような虫を、つまみ出すなんて方法も(ちょっとうさんくさい…)。神社等では虫キリとかしてくれるらしい。何より、昔は針治療が一般的だったとかで、鍼灸院に子連れで行くのが普通だったんだってさ。でも針と言っても、乳幼児の場合、とても敏感だから、ツボに触れるだけの治療。でも効果は100%。疳の強い子は、顔を見ると分かるそうで、目頭と目頭の間、鼻の付け根(鼻根)の皮膚に小さな細い青筋(静脈)が透けて見えて、この青筋がはっきり強く浮かんでいる子ほど癇癪症状がきついらしい。顔の中心部分の色が青い反面、口の周りは黄味を帯びています。この状態が何年も続くと親に対して、鼻が低い子になるそう。それは困った!早速娘の顔を見る。いやぁ、この事知った時にはもう、思い当たってた。鼻の付け根、うっすらと青いんです。前から気になってたけど、血管が透けてるのだ。口の周りはよく分からないけど…。病院でも癇癪持ちと言われてたしな。疳の虫って簡単に言うと、自律神経失調症みたいなもので、お腹の調子がイマイチ。脳の発達に体の発達がついていってない、とか。お腹を見ても分かるそうで、ひかんばら(?)という、お腹の肋骨かなんかが反り返っているのが疳の強い子だそうです。 ヒヤキオーガンなど薬はありますが、これは精神安定剤で、眠くなる薬も入っているようです。実際にこれを飲んでいたというママさんがいて、飲まされてたその事が心に傷になって残っていると言っていました。自分の子供にはそんなモノは飲ませないと。私も絶対嫌だったので、鍼を試してみる事に。実際通ったのは5日。一回1000円。3つの爪みたいなのがついた金属で、身体を強めにこすった後、触るだけになってる鍼でちょんちょんと身体をつついてました。10分ほどで終了。話をしていたら、連休明けなど赤ちゃんが興奮する機会には疳の虫が出やすいらしいです。確かに連休を挟んで、大泣きするようになった話、よく聞くもの。ただ…5日間通って、効果はイマイチでした。夜よく寝るようになったかと言えばそうでなく、寝愚図りも相変わらず。パパ嫌いは3日目くらいまでは落ち着いていたけど、結局復活したって事は全く効果なかったと言ってもいい。先生の腕が悪かったのかしらね? -*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-* 娘も三歳近くなり、ムスコの方は今時期的に夜中頻回起きる事は起きる夜泣きシーズンではあるけどそんなにひどくない、今、私が思う事。 疳の虫ってやっぱり親が大変だ〜って思う気持ちを軽減するための言葉なんじゃないかと思う。そう思うと楽になるというか。娘の夜泣きはひどくて、夫が夜中おぶって近所を散歩してくれた事もある。私も夜中にイライラしてすごかった。娘は感受性が強い方なのだろうし、昼間のいろんな刺激が夜泣きにつながるのだろうと、今では思う。時期がくればいつかは治るし、もうその時期が過ぎるのを待つしかないのだと。もちろんいちお自律神経の不調な状態ではあるようなので、食欲不振だとか見ていて明らかに危ない状態の時には何らかの手を打つべきだろうけど。 私が話をした鍼灸師の人。私の家の子供と年も性別もほとんど一緒なのだが、やはり子育てをしていくうちに、疳の虫に対しての自分の解釈も変わってきたと言っていた。そんな気がする、私自身もそうだったし。 あの頃「ベイビー・モーツアルト」にはお世話になった。夕方の泣きやまない時間に。テレビが良くないのは分かっているが、ずっと泣かせっぱなしよりはいいだろう。 |
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2004 Dec 9 |
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HNの由来 |
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私はmyu。ネット歴は5年だが、初めからこの名前である。
とあるサイトでのみ「ムスメの名前+ママ」と名乗っているが、後はどのサイトでも登録するときにはmyuの入った名前となる。(重複が駄目な時には数字を付けたりする) この名前、飼っている猫の名前から付けたものだ。名前はみゅうくん。この子との付き合いは7年となった。元々作っていたサイトも猫を主役に…という感じだった。もちろん個人日記はあったが、他は猫のコンテンツだったりした。あの頃付き合いのあった人たちとは今はもう連絡取ってないなあ。同じ学生だったり猫を飼ってたりだったからつながりがあったけど、今じゃすっかり子育てしてるママだからね。個人サイトもすっかり「育児サイト」だし。 それにしてもいろんなHNがある。夫は名前から付けたもので、実生活でも私はその名前で呼んでいる。ネットで日記に名前が出てくるときにもその名前で書くので全く違和感がない。 子供にはHNは付けていない。ムスメの名前は特に珍しいので、やはり付けた方がいいと何度か思って、結局閉鎖サイトにしてしまった。代わりにここでは名前を出さず「ムスメ」「ムスコ」なのだ。 私がHNを変更する時は来るんだろうか。結構気に入っていて、一度もない。いちお実際に会っても呼ぶのにあまり困らない名前だな。すべて小文字のmyuには愛着がある。以前は「Myuさん」と書かれたりして嫌だった。こだわりがあるのです。 子供の名前を考えるときに女の子の名前は考えるのが楽しかった。だから自分のHNを考えるのも楽しいかも。でもでもやっぱりずっとmyuでしょ。まぁもし変えることがあるなら、今度は漢字かな。当て字ばりばりで(笑) |
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2004 Dec 1 |
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痒さという苦痛 |
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今日のニュース。「アトピー苦に無理心中」家族四人のうち、母親をのぞく三人が死亡したと。
ショックだった。びっくりしたし。 でも分かる。 私は子供の頃からアトピーだった。高校の頃は弓道をしていたのだが、肘の内側が汁が出るほどひどくて、弓道で腕を伸ばすのが痛かったのを覚えている。私は夏にひどくなり、冬には割と沈静化するタイプだった。 しかし私が19歳の時。突然顔に出来た。当時私は宅浪をしていた。自分自身との戦いで、遊びや漫画などの一切の娯楽を自分に禁止していた。そして夏のある日、頬に出来たのだ。汁が出て赤くなって。痒くて痛くて。鏡を見るのが嫌だった。出かけるのも嫌だった。とにかく辛くて何とか治そうと必死だった。 結局ステロイドしか選択肢はなく、それ以降ステロイドとの付き合いが始まる。 高校の頃のアトピーは子供のアトピーの分類に入っていたのだが、19歳でなったのは大人のアトピー。一生治ることはないと言われている。大人のアトピーは首から上に出来やすい。現在の私は、高校の頃ひどかった肘や膝の裏はほとんど出ないが、首や頭皮に出やすい。顔も良く出来ておでこは特にひどい。今は出かけるのも苦痛な程ひどく出る事が稀だが、大学時代は冷水で顔を洗うということが刺激になって、出かけられない程赤くなった事もある。 結婚して出産して。ムスメはアレルギー体質だった。残念ながら生まれた時から牛乳やチーズ・卵が駄目だった。乳児湿疹もひどく一時は顔から汁が出て見るも無惨な状態だった。 それから年齢と共にアレルギーはおさまっていき、今では何もない。卵が割と最近まで残っていたがそれも克服した。体調が悪くなるとちょびっと出るが気にするほどではない。 私のアトピーもムスメのアレルギーも世間一般のひどい人からすればたいした症状ではない。 しかし痒いというのは本当に苦痛で、寝る時にお布団に入った後痒くて眠れない夜も多かった。ムスメも今でも寝る前はあっちをぼりぼりこっちをぼりぼり、である。 無理心中するほどの苦痛、ホントに胸が痛い。きっと親は子供達の将来を悲観したのだろう。私もムスメの顔がひどい時には出かけるのも苦痛で、何とか治そうと必死だった。自分のアトピーには割とほったらかしだった私だが、子供のとなるとそうもいかない。 あぁでも…やっぱり死んじゃ駄目だよ。。。 確かに痒くて辛いよ、見ているのも辛いよ。 でもそれ以上にきっと得るものだって多い。何より子供の人生だよ。子供達はきっと生きたがっていたんじゃないかと思うよ。無理心中ってホントに親の身勝手だって思うもの。自分で決めるならまだしも。 どうかもう二度とこういう理由で死を選ぶ人がいませんように。 |
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2004 Nov 13 |
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女って損 |
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さっき帰宅。どこからかというと、夜のドライブから。
きっかけはレンタルの返却に行くことだったんだけど、夫がせっかくだからとカメラ(キスデジ)を持ってでたら、と勧めてきた。おもしろそうなので持って出たんだけど、近所の神社で夜景を撮ってたらふと火がついて車であちこち撮影場所を探す。 残念、おしゃれなお店は11時で閉店だった。外観とか撮りたかったのに。 で、結局近所の商業施設のイルミネーションでも…と立ち寄った。しかしがやがやとうるさい。のぞくと若者のたまり場になってた。よく見ていないけど。残念、さっさと引き返した。 こんな時に女って損だと思う。 やっぱり怖いもん。 学生時代宮崎にいた私。夜は夜景や星空のスポットが山のようにあったのだけど、一人で行くと怖くて車から出られず車内から星鑑賞。周りはカップルだっただろうとは思うけど、やっぱり怖くて夜はコンビニ以外では絶対車を出なかった。 男だったらなあ。やっぱり夜は怖い。 |
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2004 Oct 31 |
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息子かわいさ |
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先日4ヶ月健診を終えた。生まれた時から大きな赤ちゃんだったが、すでに8300gの67cmある。保健婦さんとの面談は二人目って事もあり、二分ほどで終了。体重も身長も良い感じで増えているので問題なし。
実は息子、とにかくじっとしていない。赤ちゃんだから当たり前だが、寝返りマスターしてからすっかり右も左も戻るも返るも自由自在。布団の上をスタートしてすぐに部屋の端っこに転がっていってしまう。家具にぶつかり動けないとうぇ〜んと泣く。でも不快な泣き方じゃない。娘はとにかく泣いてばかりでその声もすごかったのだが、息子は未だにふぇ〜んと泣く。 とにかくかわいい。息子がかわいくて仕方がない。たぶん、上が女の子だったのでその違いも含めてめろめろになってしまったのだろう。息子も私の事が大好きなようで、顔を見ただけで笑ってくれる。夫とお風呂に入っていても私がのぞくことを期待してドアばかり見ているらしいし、パソコンに取り込んだデジカメ映像にすら話しかける。 だっこしていて無意識に首に手をまわしてくる(ぎゅっと抱きつく感じ)だけでほぇ〜と幸せモードなのだ。かわいい。。。 娘は出産から4ヶ月、落ち着いてきて穏やかな日々を送っている。娘のかわいさは出産前も今も変わらない。たどたどしいおしゃべりも拙い歌も「ママだーいすき」って言ってチューしてくれるのもホントにホントにかわいい。 でも同姓だからこそ何だかむか!とくることもあったり。 たぶん、夫が娘をとにかくかわいいかわいいと甘やかすのと一緒だな、私も息子には甘そうだ。 街で見かける男の子達。正直…さえない感じに成長してしまった男の子を見ると、我が息子もこうなるかもしれないのか…と内心がっかり。 そりゃそうだ。反町隆史と松嶋菜々子の息子だったらそれはそれはかっこいい男の子になるだろうが、所詮凡人同士から生まれた息子。残念ながら人並みにしかならないだろうし、モテモテになるとも思えない。 今はせいぜい5歳くらいの子供の姿までしか思い描けない将来像。あと10年、15年したら息子もしっかり毛むくじゃらになり野太い声になり、「おふくろ」とか私を呼ぶのだろう。今はこんなにかわいいのにぃ〜! とりあえずあと数年はママっ子でかわいいかわいい時期だろう。めいっぱい楽しんでやる。男の子なんて自分が産む事すら想像しなかったけど、こんなにかわいいと思うようになるとは。小さな恋人って感じでたまらない。 |
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2004 Oct 26 |
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夢の終わり |
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ずっと胸に秘めてた思いがある。
ホントはホントは私は子供の頃から結婚式願望が強かった。結婚はあまり興味がなかったけど、式と披露宴はやりたかった。披露宴で友達をいっぱい呼んで、プチ同窓会みたいになるのが夢だった。一生に一度の自分が主役の日、ずっと憧れてた。 私は学生時代にホテルで結婚式のエスコートのバイトをしていた。いわゆる「付添人」だ。メイクを終えた新郎新婦に挨拶し、親族控え室に連れて行く所からが仕事だった。式・写真撮影(式の後親族を含めた集合写真を撮る)・披露宴と最後に控え室まで二人を連れて行ってやっとおしまい。だいたい5時間はかかった。でも二年ほどやって月に三件くらい行ったりしてたから結構な数のカップルを見てきた。 そして子供の頃からの妄想はここでかなり形になった。ドレスはあんなの、式はあんなの、披露宴はあんな感じで進行もこんな感じで。ドレスやブーケも安っぽいものはすぐ分かったし、白無垢や色打ち掛けでの移動の仕方もばっちりだった。 でもいっぱい結婚式に出過ぎたのかな。。。 私の結婚は結婚式には全く縁がなかった。 一度だけブライダルフェスタに行った。一度だけドレスを着てみた。写りの悪いポラロイドで撮った一枚が記念になった。今はその写真ではち切れんばかりの笑顔の自分を見る自信もない。 結局ブラフェスさえ一度だけだった。 そんな状況になかった。式を挙げたいとか言える状況になかった。 いろんな事があって、それどころではなかった。 私の実家も大学時代を過ごした地も遠かったから友達を呼ぶとなるとお金もかかる。 式や披露宴だけなら会費制って方法でなんとかなったかもしれないけど、やはり無理だった。 でもいつか子供が出来てからでもいいからやりたいって思ってた。 いつの間にかそんなになかったウェディングドレスへの憧れも芽生えてた。 友達に結婚式に呼ばれていつも羨ましかった。 だけど、「写真だけ」とかいつか年を取って子供からサプライズで結婚式を贈られる(よくテレビである)のは絶対嫌だった。写真だけなんて妥協するくらいならしたくなかったし、ましてや年くっておばさんになった自分がドレスを着たって何の記念にもならない。 いつか…いつか。 そう思って、もうすぐ結婚三年目を迎える。 先日娘の七五三の前撮りをした。ホントにすごく良く撮れていて、思わずほとんどを買ってしまった。 その後その写真を何度見てもうまく撮れてるなあ、記念になるなあと思った。 それである意味ふっきれた。 あぁ写真だけでもいいじゃん、と。 娘がこんなに記念になるんだったら写真だけでもいいじゃん、と。 それである日夫にちらっとその話をした。 まだ私は産後自分の納得のいく体重になってないし、夫も太り気味。 もう少しやせたら結婚式の写真でも撮ろうよと。 夫はいつも式の話をしていた頃、そんなに乗り気じゃなかったし、もちろん私が思うほど結婚式に思い入れもないのだろう。 最近そんな話がでたときも、ほとんど茶化した話で終わった。 だから、私がそんな話をしてもあまり本気にはとらなかったようだった。 がっかりした。 ちょっぴりドレスを着た自分の夢をみた。 もうすぐ結婚式を控えている人のサイトにふと行って、「式だけでも」なんて言われて、背中を押された気がした。 それで娘が写真を撮ったスタジオで写真だけの結婚式だといくらかかるか見てみた。 だいたいは知ってたけど、気軽に撮りに行ける金額じゃない。 娘は写真全部買ってもそんなしなかったけど、さすがにそんな安価じゃなかった。 すぅーっと何だかはじけてしまった。 たぶん、写真も撮らないな。 お金かかるもん。。。 幼稚園だ、車検だ…とこの数ヶ月はお金がかかること目白押し。来年になれば娘は幼稚園に入り毎月今以上の出費。今でも渋る金額が出せるとは思えない。 同じだけ出すなら、たぶん家族旅行を選択するだろう。娘はミッキー大好きだし、TDRでも。 終わっちゃった、私の夢。 ホントにしぼんじゃった。 きっとこれから先もずっと結婚式したかったな…って思い続けていくんだろうなって思う。 でももうしない。子連れでもいいじゃないとかいろいろ言われるけど、今更出来る環境にないし、お金もないし、何より今更恥ずかしい。。。 だからおしまい。 誰かに言っちゃったらそれこそ叶わない気がしてずっと黙ってたけど、ホントはホントは結婚式したかったんだ〜って、はき出しちゃったからおしまい。 |
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2004 Oct 18 |
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母親 |
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最近娘もだいぶ落ち着いてきた。息子が生まれた当時は大変だったが、今思えば赤ちゃん返りと言うより、魔の二歳児がまたパワーアップしただけだったかもしれない。幸い情緒不安定な様子も見られないし、だいぶ会話が成り立つようになってきたので本人も落ち着いてきたようだ。
しかし何より夫の力が大きい。娘は私にはあまりワガママが言えないと分かったのか、夫にとにかく甘えるのだ。夫が帰宅すると態度が変わるし。夫もそれを分かっていて、しっかり甘えさせてあげている。おかげで娘は心のバランスを崩すことなくここまでこられたのだと思う。 私はかなりヒステリックに怒ることが多い。短気なのだ。つい感情的になる事もしばしば。娘が何事にもまず「嫌」と否定から入るのが気にくわない。いつものことだと割り切ればいいのに、毎回ぷちっとくる。 そしてつい先走って阻止してしまうのだ。たとえばうちは早くから食事に関しては手づかみをさせていたため食事は割と上手だ。今では箸も使える。が、アイスクリームなんかを食べるのはやはりこぼすし出来るだけ控えたいと思う私。だから食べてる端から「あぁこぼれてる」「あぁ汚した」「あぁもう!」となるのだ。頭の中に洗濯でシミが取れるかなとか面倒を増やしてとか、そういう事を考えてしまう。 しかし夫だとそうはならない。こぼしたらそではそれで仕方ないと。私みたいに感情的にならないし、最後は「もう食べるな」と私みたいに取り上げたりしない。 同じ汚すのだったら私は見ていない方がいい。後から「汚れたよ」と聞けば「もう仕方がないなあ」で済むのに、端で見てると余計に娘を叱ってしまうからだ。 夫は洗濯をしないから汚したら大変だとか思わない。その余裕が態度の違いになるのだろうか。 頭から砂をかぶったり公園で水たまりに突っ込んだり。私ならきぃ〜っとなることも、夫だったらある程度容認する。もちろん危険な事は避けるが食べ物をこぼすことも砂をかぶることも水たまりに入ることも悪い事じゃないから。主婦として私が嫌なだけで。 部屋でお菓子をぼろぼろこぼしたり、飲み物を倒したり。何か作るときに手伝おうとして失敗したり。私ならうき〜となることも夫ならならないので、うまく娘に手伝いをさせられたり、案外上手に食べたり自分で始末出来たり、実は成長することも多いのだ。 だからなるべく私は夫に任せてしまう。私が見ていたら余計な茶々を入れて娘をしゅんとさせてしまう。娘の成長の芽を摘んでしまう。 母親は割と感情的に叱りやすいと言う。叱ると言うより怒るということか。後から後悔することも多い。孫がかわいいのはどんなに汚しても自分では洗濯しないし、どんなに甘いモノを食べさせてもご飯を食べない〜と怒らずに済むからか。夫にも似たようなものがあると思う。 疲れたら夫にバトンタッチ。これが子供にも私にも一番。ただし夫も時にはぷちっとなる。そうしたらやはり母親の出番だ。。。いずれ娘も自分の娘にきぃ〜っとなるに違いない。私は甘やかすおばあちゃんになってこの頃の事を思い出し、うっしっしと思うのだろうか(笑) |
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2004 Oct 14 |
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幸せ |
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私が先日実家に帰った時には、高校の時の友人とも会った。
結婚してから帰るたびに会う友人はもちろん、かなり久しぶりに会う友人もいた。 私は娘が生まれてからの写真を持参しており、彼女はその写真を見ながら「ホントにmyuは幸せそうだよね」と言った。「幸せな感じが顔に出てる」だって。 ホントに久しぶりに電話した高校の時の先輩にも言われた。その人は娘より二歳下の子供がいるのだが、子育てやら生活やらに疲れている様子で、電話口でも愚痴が多かったのだが…、「自分の周りで一番幸せそうだ」と。 そうなのかな、そうかもしれないなあ…と最近その言葉をかみしめている。 私の親は厳しかった。父は亭主関白で母は父に従う人だった。私には一つ下の妹がいて、いつも妹と父の厳しさについて愚痴を言いながら耐えたものだった。大人になった今ではすっかり笑い話なくらいのエピソードもある。今ではずいぶん丸くなったのだが、ちょっと理不尽で、少しかっとしやすい父だった。 そんな厳しい両親に育てられると甘えるのが苦手になった。私たちは小さな子供の頃だって素直にジュースが飲みたいなんて言えなかった。「休憩したい」と遠回しに言う。素直に「●●したい」と言えない関係だったので、甘えるのが苦手な性格になったと今では思っている。 大学に入って親元を離れた。一年目はちょっと羽目を外したりもしたが、せいぜい友達と夜通し飲んだりカラオケに行く程度。やはりあまり遊び倒すって事はなかった。自分で自分をセーブしてた部分も大きい。二年目以降はすっかりバイト漬け、家庭教師した生徒は両手じゃ足りない。 友達にいつも言われていた。「myuは甘えないよね」って。「寂しい」とも言われた。彼女はとても人に甘えるのが上手だったし、それは決して嫌みな感じじゃなかった。私もその甘えられる彼女が羨ましかった。 そんな私は夫と会ってすっかり豹変した。いや、夫は豹変したとは思っていないだろうな。私は今でも甘えるのが得意ではないし、まだまだ肩肘張ってる部分もある。 でも常に何らかの目標を掲げて、それに向かって一直線でないと駄目だった私は、専業主婦になり、子供達とのんびりした生活を送っている。時間に追われ、「あれしなきゃ、これしなきゃ」という生活とはまるで違う。でもホントに幸せだと思う。 頼れる人がいるという安心感。一人で頑張らなくていいのだと思うと肩の力が抜ける。ずっとたぶん一人で頑張ってきて力が入りすぎていたんだ。いつも完璧じゃなきゃ駄目で、いつも何かに追われている自分は、気がつかなかったけどいっぱいいっぱいだったんだな。 夫とかわいい子供達、大切な人たちに囲まれて穏やかな日々を送っている。今私はとても幸せだ。 |
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2004 Oct 7 |
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ギモン |
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私は今産後なので、日々の体重はかなり気になる存在。
もちろん妊娠中もせっせと体重計に乗っては一喜一憂していた。 妊娠中の検診は必ず午前中だった。朝ご飯は極力少なくして検診後安心して食べる、というパターン。 結局一人目同様に多めに増えたので、現在の体重が気になるのだが。。。 あれって、食べたら食べた重さ分増えるのだろうか。 いや、世の中には質量保存の法則なるものがあったはずなので、当然重さは体に移動するだけだとは思うのだが。やはり体だったら食べた瞬間に消化という働きが始まるはずで、そうなると食べた分の重さがそのまま体重に反映されるとは思いがたい。 いつも食前の体重と食後の体重がかなり違っていて(1kg前後)、これってどうなの?と思うのだ。 水分はそのまま重さになるのだろうか。だとすると500mlのペットボトルを飲み干したらその分重くなるのか?では一見食べ物だが、結局は水分ばかりのスイカとかアイスとか食べたらどうなるのか。 白米やおかずはどうなのか。やっぱり食べた重さ分増えるのか。 ばかばかしい事なのだが、ここ数ヶ月どうなんだろう?と思っている。 特に妊娠中の検診前に何か食べたり飲んだりしてそれが反映するかと思うと気になって仕方がなかったのだ。 現在、食前の体重は妊娠前の体重に戻ったが、食後はまだまだである。 毎日測る時間を一定にすれば良いことなのだが、実際はどちらが私の体重なのだろうか? |
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2004 Sept 15 |
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夢見工房 |
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先日入ったオモチャ屋で画期的なものを見つけた。その名も「夢見工房」。見たい夢が見られるらしい。
すごいなあと思って説明を読んだら納得。なるほど、見たい夢を見られる環境を整える、という方が合っているようだ。簡単に説明すると良い匂いを嗅ぎ、見たい夢の写真をセットし、キーワードを自分で録音する、というもの。その言葉が何度もリピートされるらしい。朝は顔にひかりが当たって、見た夢を忘れる事なく目が覚める…とな。 う〜ん、確かにおもしろい。おもしろい…が、実際どうなんだろう?臨床実験レポートは現段階では「coming soon」だって。おもしろいコメントを期待したい所。誰か体験してくだされ。楽天ならココが共同購入で安いです。あぁ、うちじゃ駄目。何てったってダブル布団に私とムスメとオット、くっつけたベビー布団でムスコが寝ていてぎゅうぎゅうなんですもの。最近じゃ少し離れた所にシングル布団敷いてオットか私が避難して寝ている始末。そんな所で言葉が延々流れたり朝に光が当たるんじゃ。。。 |
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2004 Aug 23 |
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ネットデビュー |
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私がネットデビューを果たしたのは大学三年の秋だった。私は化学を専攻していて、当然卒論はパソコンで…との事でパソコンを買ったのはそれからすぐだった。それまでは研究室のパソコンを借りてネットしていた。とはいえ、その頃はもっぱら就職活動。リクナビがようやく浸透してきた頃だったと思う。1998年の事だ。
1999年は就職活動の年。大変だった。まぁこれについてはいつか触れるかもしれないが。 就職活動が落ち着き、研究室で実験に没頭(せざるを得ない)する日々。家ではダイヤル回線だったのであまりネットをしなかったが、研究室にLANが組まれ、5時以降ならネットしても良い事になってからは、バイトのない日は毎日遅くまで残ってネットをしていた。 でもその頃知っていたのはYahooを中心とする世界だけだった。検索もYahooでのみだったし、閲覧するサイトもYahooからリンクをたどった所ばかり。ホントに狭い世界をうろうろしていた。 それが自分のサイトを持ったのが、1999年秋の事。パソコンに初めて触れて一年後。本屋でたまたま見かけた「一週間でホームページを作る」という本を見かけ、おもしろそうだと購入。その晩に初めてメモ帳でhtmlファイルを作った時に感動し、それからのめり込んでいった。 今でこそ、スキンなんか作ってる私だが、当時はCGIに四苦八苦。カウンタの設置に何故か二週間費やす。更にレス機能のないシンプルなツリー掲示板の設置には間に休んだが一ヶ月近くかかった。ただ私は一度もレンタルは利用した事がない。だから必死だった。周りには誰も知っている人がいなくて、ネットでもまだ友達と呼べる人などいなくて。頼れる人がいないからホントに四苦八苦。やっと出来た時の感動はすごかった。 それからCGIは時を経るに連れてバージョンアップ。レス機能やアイコン機能なども平気で使えるようになった。まだ設置する時には一筋縄ではいかなかったが、せいぜい三日でなんとかなった。 メモ帳でのサイト作りはずっと続けていた。すべてメモ帳。今思うと非常に面倒だが、それ以外を知らなかった。そのおかげで会社でウェブ制作をした事もある。今じゃへぼへぼで使ってもらえないが、当時はまだネットがそこまで普及していなかったし、普通の主婦がサイトを作る今ほどウェブ制作は普通の事じゃなかった。2000年の事だ。 オットと出会ったその会社で、私は多くの事を学んだ。タグに関する事、CGIに関する事。FLASHをかじっていた事もある。(もう今じゃ使えない)apeskinと出会って、なんてオシャレな掲示板が世の中にはあるのだろうと感動したのもその頃だ。まだapeskinウェブリングが参加数30くらいの頃だ。今じゃ猫も杓子も〜って感じだけど、当時から細々とやってた私はいちお老舗のつもり(笑) apeskinを作り出してから、ホントに一気にいろいろと覚えたなあと思う。スタイルシート一辺倒になってしまった気もするけど。それでも何とかスキン屋としてやっていけているのは、あの頃メモ帳でせっせと作って勉強したからかなあと思う。好きこそものの上手なれ、っていうけど、いろいろな事を中途半端にして卒業してしまった大学時代。でもそこでHTMLを独学ながら覚えたのが後に身を助けるなんて不思議だ。化学の世界じゃ全く駄目人間だったものね、私。(実験は失敗が多かった。同じ作業の繰り返しに行き詰まっていた) あの頃は…まさかこんなに「普通の人が普通にサイトを作る」時代が来るなんて思わなかったな。 |
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2004 Jul 27 |
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親ばか |
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私は親ばかである。我が子は無条件にかわいい。
鼻の穴大きく開けてあくびしてる間抜けな顔だって、目を細めて親父くさい顔をしている時だってかわいいと思う。娘にはしょっちゅう「かわいいねえ」って言い続けているとは以前にも書いた。 が。 最近のオットとの会話。 息子はあまり、いや、結構、器量よしではないね、と。つまり「不細工だよね」と。 いや、私だって親ばかだ。私やオットから見たら、息子はどんな天使のような赤ちゃんよりかわいいのだ。 が。 やっぱりぶちゃいくなのは…否定できないな。 生まれた時にはスタイルだけは良かった。足も手もすらりと長くて、身長が高かった。 しかし急成長を遂げてしまった今、体重が増えて胴体だけ伸びて…足の長さも標準になってしまった。 オットは運動神経がいいので、娘もかなり期待出来る感じだ。だがもしかしたら息子は運動神経がかなり悪い私の遺伝子を受け継いでいる可能性もある。スタイルだけ良くても運動神経が悪かったら見かけ倒しでかわいそうだと思っていたが、それも取り越し苦労に終わりそう。 というか、スタイルすらだめ?とか内心思ったり。。。 娘と比較というわけではないが、性格は比較的穏やかな気がする。まぁまだ一ヶ月児なので、どんな性格かなんてほとんど分からないが、割とかんしゃく持ちであった娘に比べると、息子は穏やかだなあという程度。 しかし顔やスタイルや、もしかしたら運動神経も期待出来ない息子。せめて「いい人だね」と言われるような性格だけは残して欲しい。 「いい人」だけで終わってしまうかもしれないけど。 とはいえ、子供の頃の顔なんて、大人になればずいぶん変わる。 子供の頃かわいい子は大きくなると…とよく言うから、「子供の時イマイチだと…」という逆説もありかもしれない。 まぁ親がおやだから、期待は出来ないよね。すまん。 息子がどんな人になろうとも、平凡でも幸せだと思えるような人生を送って欲しいなあと心から思うのである。 |
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2004 Jul 18 |
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虫 |
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お友達のサイトでゴキブリの話が出ていたので思いだした事。
私虫は比較的大丈夫な方。だったんだけど、さすがに大人になって触らなくなったらやっぱり人並みに気持ち悪いと思うようになってしまった。 子供の頃はセミでもミミズでも平気だったんだけどなあ。 ムスメが土いじりしていて、中から巨大なミミズがいっぱい出てきた時は柄にもなく「ぎゃぁ〜」って悲鳴あげちゃったし、ムスメが「はい」って渡してくれたのが蝉の抜け殻だったときにもびっくりして落としちゃったし。 やっぱり触らなくなるとだめね。 ちなみにムスメは先日毛虫(普通の緑の奴。茶色のだとまずいらしいけど)に刺されたのがかなりショックだったらしく、「虫怖い」というように。蝉の鳴き声もあまり好きではないらしい。 まぁ昔は平気だった虫なんだけど。苦手なものはあった。 虫の死骸。。。 ホントにホントに気持ち悪い。普段は平気で触る類の虫でも死んでしまった途端気持ち悪くて触れなくなる。 高速を走るとよく車に死骸が貼り付いているんだけど、とにかく気持ち悪くて。。。触りたくない。 バッタとか触るのは平気なのに、貼り付いたバッタが気持ち悪くてね。。。 最初に出てきたゴキブリの話。 ゴキブリはさすがに子供の頃から得意ではない。 でも子供の頃一時住んでいた家がすごくゴキブリが多い家で、殺すのは慣れた。 新聞紙で叩いて殺す。 でもね…殺したのを触るのがだめだったのですよ。 足とか飛んでたりするともう飛び上がるくらい嫌で。(すみません、想像させてしまった?) 叩いた新聞紙や重ねたティッシュでつかもうとするんだけど、とにかくその数枚の紙の下に死んだゴキブリがいるかと思うと逃げ出したくなる。 テレビCMやってる、泡で殺すタイプ。私は初めてCMを見たときに、こんなもの売れるわけないと思った。だって死んだゴキブリを泡ごしにつかむなんて気持ち悪くて。死んでなくて泡から飛び出して来たら? でも意外に売れてるみたいで驚き!私みたいなタイプは少ないのか。 私はやっぱり確実に死んだ事が分かる叩いて殺す方がいいな。 結婚して良かったなあと思う事。殺してくれて捨ててくれる人がいる。 これってオットからすると「何だよそれ」って思うかもしれないけど、「頼れる人がいる」ってポイント大きいです、マジで。 私はゴキブリに出会ったらオットに頼んで殺してもらって、しっかり捨ててもらいます。 オットも実は死んだ虫は苦手らしい。でもさすがに私みたいに「ひぇ〜」なんて声は出さないので黙々とやってくれる。内心では「ひぇ〜」って思ってるかもしれないけど。 ムスメはまだゴキブリに出会った事がない。果たしてどんな反応を示すのか。 ちょっと楽しみではあるけど、私は出会いたくない。 |
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2004 Jul 16 |
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グラスの氷 |
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私はグラスの氷が苦手だ。
何だかこう記すとかっこいいのだが。 グラスの氷と言ってもストローがさしてある大概のお店で出てくるかっこいい飲み物は全然平気だ。 今は授乳中で飲めないが、カフェオレとか大好きである。大きめの氷に黒いストローなんかすごくオシャレだと思う。 私が苦手なのはそんなんじゃない。 大概のお店で出てくる「水」のような氷だ。 ストローもなく、大きな氷がいっぱい入っているとだめだ。 何がだめか。飲みにくいのである。 最初は良い。しかし量が減ってくるに従って氷が邪魔するのである。 たぶん、普通の人は何らギモンに感じた事がないであろう。 でも私は昔から苦手だった。氷が歯に当たる。 「歯にあたる」という時点でたぶん間違っている。たいていは唇で受け止めるに違いない。 でも私は唇で受け止めるのはもっと苦手なのだ。 だからつい上唇が開きがちの口で受け止めるため、氷がもろ前歯直撃。 もちろん冷たい。しかし肝心なのは、向かいに座っている人からグラスの底ごしに見える私の顔がかなりぶさいくである、という事だ。 これは妹に以前話をして、妹からしっかり「ぶさいくだ」と指摘を受けているので知っている。 やっぱりみんな唇で氷を受け止めるのだろうか。 私が苦手なのは、子供の頃に唇に氷が張り付いて痛い思いをしたのがトラウマに(というほど大げさではないが)なっているからだと思うが…やっぱり私はおかしいんだろうな。 そういうわけで夕食時に飲むお茶には私だけ氷を入れない。オットは「なぜ?」と思っているようだが、こういう情けない事情があったのだ。 |
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2004 Jun 1 |
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食べ物の好み |
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今日の昼はラーメンを作ったのだが、もやしを入れた。私はもやしはくたくたになったのが好きで、いつもたくさん茹でる。もやしは基本的にくたっとなったものの方が好きだ。料理にも依るけど。しかしオットはしゃきしゃき派。二人分作るときには入れるタイミングは変えている。
たとえばレンコン。母は芋っぽいのが好きなんだそうだ。私はしゃきしゃきしているのが好き。果物の柿もしゃきしゃきしているのが好きだが、母はぶよぶよしたのが好きだそうだ。煮物は熱々を食べるのが好きだが、母は冷めたのが好き。 オットは花野菜が嫌いである。ブロッコリーとカリフラワー。私はカリフラワーはあまり味が好きではないがブロッコリーは体にもいいし好きである。辛いものも好きではないので、麻婆豆腐はいつも豆板醤は控えめだ。私はカルパッチョが大好きだがオットは酸っぱいものが嫌いで酢の物も作れない。ぼそぼそしているものが好きではないから、オットはクッキー類が嫌いだ。 私は魚類が大好きで、お刺身も大好き。無類のエビ好きでもある。あまり脂っこいものは好きではないので、鶏肉の皮も嫌いだし、まぐろは一番赤身が好きだったりする。しかしオットはどちらかというと肉派。だから一週間の献立も肉中心である。鶏肉の皮もステーキの脂も好きである。 そして私たちの好き嫌いをしっかり受け継いだ娘はぼそぼそしているからだろうか、赤ちゃん定番のボーロも嫌いだったし、クッキー・ビスケット類は嫌いである。パンも好きではないので、ハンバーガーとマックを見るたびに嬉しそうに言う癖に食べたことはない。ミスドに行くと飲茶専門である。私が大好きな魚もカルパッチョは娘も好きで、エビも大好きだ。肉の方は食べたり食べなかったり。 娘を妊娠中、私はネギを食べると気持ち悪くなった。だから回転寿司に行くとネギなしネギトロなんて頼んでいたほどだ。娘自身もあまり好きではない様子。それに妊娠中は義理の母がやっている肉屋で売っているローストビーフをしょっちゅうもらっては食べていたのだが、娘はこれが大好物だ。 やはり親の好き嫌いは子供に遺伝するなあと思った。おかげで私もオットも好きではないものは食卓に上らない。甘いカボチャやサツマイモなんてまさにそう。そしてデミグラスソース系もは食卓に上らないのだが…。娘はこれが好きであることが判明した。そういえば母ともずいぶん好みが違うから、育った環境だけが好みを左右するわけではなさそう。 ちなみに現在第二子妊娠中はカレーを食べると胸焼けがひどく、どうも初期の頃からだめだった。今のところ家族三人カレー大好きで、気軽に食べる外食ナンバーワンである。食卓にもよく上る。が、もし嫌いだったらどうしよう、と家計を預かる身としてはちょっと思ってしまうのである。 |
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2004 May 31 |
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SEASONS |
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今日久しぶりに浜崎あゆみのアルバムを聴いて、広島にやってきた当時の事をふいに思い出した。
大学卒業時に決まっていた就職先を断った。前々から会社の雰囲気が合わないと思っていたものの、決めたのは突然だった。卒論発表数日前の事だ。 時期も時期だったので、母にも学校にも言えず、そのまま就職先である広島へ行くことに。 母には適当に説明し家を決めた。(ホントは寮に入る予定だった) 学校には隠し通したまま卒業式を終えた。 実家で数日過ごした後、全くこれから先のあてのない広島に来た。部屋の片づけをしながら これからどうやって暮らすかを考える日々。お金ももちろんないので、日々食べるものも困窮する。何とか食いつなぎつつ、一度単発のバイトをし,毎日求人雑誌を隅から隅までチェックした。塾講師の正社員はかなり真剣に考えた。(考えただけ)駐車場の警備員とか、この際水商売っぽいものに手を出してしまおうか、とか。派遣の広告が多く、とりあえず話を聞きに行くことに。そして派遣の仕事が決まったのだった。 当時介護保険の開始でその業界はてんてこまいだった。パソコンのソフトを扱っている会社にサポートとして派遣されたのだが、仕事は結構ハードだった。山口と島根の老人ホームや社会福祉協会など介護保険関係の施設に出向き、ソフトのサポートをする。場所はホントに遠くて連日高速を使い、朝5時頃家を出て夜は深夜だったり泊まりになったりと。。。島根は高速がほとんど使えないので、山道を延々運転したものだ。 しかし車の運転が大好きだった私にはもってこいの仕事だった。道中ずっと歌いながら運転していた。その時によく浜崎あゆみを聞いていたのだ。大ブレークする「SEASONS」あたりの頃である。 仕事は楽しかったし、何しろ需要がある仕事だったので給料もすごく良くて、それまでの困窮した日々から一変した。それでもやはり不安な気持ちはある。 派遣の仕事、いつまでも続くワケじゃない。介護保険も一度目のレセプトが終わる5月初旬には一部の派遣社員が契約を終えて会社からいなくなった。私も6月末で契約が終わる事になっていた。その先はまだ決まっていない。母を含め周りの誰も私が決まっていた会社に入社せず派遣で働いている事を知らない。これからまたどうなるんだろう? だから「SEASONS」の歌詞はかなり共感した。ちょうど三曲を三ヶ月連続でリリースしている時期だったのだが、その曲を聴くと、山道を走りながらふと不安になった事とか思い出す。 結局オットと知り合うきっかけとなった会社に入社し今に至るのだが、ホントに広島にいる理由なんて全くなかったのだ。母には会社に入社して正社員になった時に身元保証の書類を送られた時点で話をした。まぁ細かい話はしなかったが。 今でもあの頃の曲を聴くと鮮明に思い出す。楽しかったけど不安だった日々。それが今じゃもうすぐ二児の母。あのとき、決まっていた会社に入社していたら…とか、たまたま求人雑誌で最初に見かけた会社に電話して入社したもののそうしなかったらオットには出会ってないなあ…とかいろいろと考えてみる。きっと全然違う人生だったんだろうなあ。 今となってはオットと娘のいない生活なんて思いつきもしないけど、そんな幸せな生活を知らなければ今でも「彼氏なんてめんどくさいだけ〜」と言いつつ、独身でいたのだろうか。 |
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2004 May 28 |
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二人目のこと |
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私は個人的サイトで使おうとこういう戯言を書き込むページを用意していた。去年の9月の事だ。
しかしなんだか自分の気持ちと書いている事が一致していない気がして、いくつかアップしたものの、公開しなかった。その中に二人目への気持ちをつづったものがあったので、思い出して読んでみた。当時まだ妊娠していない。妊娠する一ヶ月前の事だった。以下は名前等の変更のみで当時の文そのままである。 日記にも書くだろうけど、ここ数日おかしな体調でした。生理予定日の五日前から、通常の生理の三日目くらいの量がずっと続いていました。その前日にはちょっと血が混じってるって感じで、妊娠を待ち望んでいる私としては「着床出血?」って思ってたんだけど、その後の出血であきらめてました。 それにしてもおかしい。いつも規則正しくやってきて、二日目が多いという曲線を描いて終わる生理なのに。お腹もちくちく痛くて、心配してました。 結局今日受診して、何ともない事が判明してしまったのだけど。少し期待していただけにがっかりです。 早生まれくらいがいいなあと春くらいから二人目を意識しているのだけど、なかなか我が家に赤ちゃんはやってきてくれません。やっぱり子供は授かりものなのですね。 そう思うと娘があの瞬間にお腹にやってきた事がすごい奇跡だって分かるし、無事に育って無事に生まれてここまで元気に育っているって事がすごいことなんだなって思います。 娘がもしいなかったら…私たちは結婚していなかったのでは?とも思うし、そうなると娘に会えなかった人生を思って、今いかに幸せかを思い知るのです。 ホントに今幸せだなあと思います。オットは私を大切に思ってくれてるし、娘はママ大好きでいっつも一緒だし。きっと数年するとこの頃の事を思い出して、「あの頃は良かったなあ」なんて思うんじゃないかな…と思うのです。こんな蜜月期はこれから先ないものね。私たちも若いし。。。 そう思うと、二人目はもう少し娘との時間を楽しんでから…って事なのかな…と気長に待つ気になるのです。う〜ん、でもやっぱり赤ちゃん来て欲しいなあ。(2003.9.11) 一ヶ月後、私は実家へ帰省した直後に妊娠が発覚した。12月に家族旅行を控え、しばらく妊娠しない方がいいかな、と思っていた時だった。まさに子供は授かり物なのかもしれない。 思えば早生まれの娘と二学年差で二人目を…と思うと、春先に妊娠していないといけなかった。去年の夏は娘が水遊びが大好きで、天気が良い週末は必ずといって良いほど海に行っていた。もし妊娠していなければ娘が水遊びが好きで、海であんなに楽しそうに遊ぶ事なんてしらなかったかもしれない。思いっきり夏を楽しむ事が出来たのも、この時期に二人目を授かったからかもしれないなあと思った。 子供は何人がいいか、考える。とりあえず二人目はずっと前から考えていた。しかし娘が生まれた直後は「あぁもういいかも」と内心思った。何しろ娘は低月齢の時にすごく手がかかったのだ。大きくなるにつれて逆に手がかからない方になったが、小さい頃は寝ない・食べないわで大変だった。そうした時に二人目の事を考えると、「少しずつでも楽になってるのに、生まれたらまた1からやり直し?」と思ってしまったのだ。 しかし娘はどんどん大きくなって手から離れていった。特に歩くのが早く、9ヶ月の終わりに最初の一歩を踏み出したのでここから一気に手が離れてしまった。今では魔の二歳児と言われる年齢だが割と楽、である。(一時すごかったのだが、山がはっきりしていて短かった) そうなると小さい赤ちゃんが恋しくなるのだ。何ともワガママな話だが。 今二人目が臨月であるが、気持ち的にはもう一人欲しいなあと思っている。子供は多い方がきっとにぎやかだ。オットは三人兄妹であるので特に三人は欲しいと思っているようだ。 妊娠し出産すると女性にはホントに体の負担が大きいと思う。何よりつわりが嫌だった。出産の痛みは産後忘れてしまうが、つわりだけは勘弁、と思うのは私だけではないはず。一人目と違い二人目以降は上の子の世話がありながらの妊娠生活なので特に体の負担が大きい。 それでも…やっぱり三人欲しいなあと思う。結局の所経済的な理由もありとりあえずは二人かなあと内心思うのだが。もし授かるとしても少し年齢を離したい。娘が小学校に入る頃でもいいと思う。その頃には今は赤ちゃん返りしている娘も喜んで下の子を受け入れてくれるだろうし。でもやっぱり子供は私たちが思うようにうまくはやってきてくれないだろうな。今お腹にいる子も私的には「この日に生まれて来てね」と思う日があるのだが、たぶん思い通りには生まれない。そんなものだ。 |
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2004 May 24 |
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お風呂 |
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私は長風呂ではない。女性はみな長風呂だと思われているようんだが、私はホントに烏の行水、母にいつも「ちゃんと洗ったの?」と言われるほどだった。
ちゃんと洗って湯船につかって出てくるのに、どうして一時間かかるのか私には謎だ。妹も母も長風呂で、一度はいると一時間は出てこない。父親も私より長い方だ。父にしても妹にしてもどうやら風呂でやらないといけない習慣がたくさんあるようだ。マッサージだったりパックだったり、その他諸々。 私はお風呂は苦手の部類に入るかもしれない。温泉に行っても幾つかお風呂があればいちお全部はいるが、せいぜい二分程度ずつしか浸からない。熱いお湯は苦手である。入浴剤を入れて入るのも好きではあるが、一人暮らしの頃入れて入ったもののせいぜい5分で出てきた。お湯を抜くときにすごくもったいないなあと思った記憶がある。 アトピーを持つ私には暑くなる、という事がとても苦手で、お湯に長く浸かると顔や体のあちこちがかゆくなる。それが苦痛で仕方なく、症状がひどくなった18歳頃からどんどんお風呂が短くなっていったように思う。子供の頃は髪の毛を洗うのが嫌いでやっぱりお風呂が嫌いだったし、こう見るとずっとお風呂嫌いなのかもしれない。 もちろんお風呂は毎日はいる。しかし一人暮らしの頃はお風呂にお湯をためるという事はほとんどしなかった。冬でもシャワーで平気だった。今でも毎日シャワーでも平気だが、子供がいるのでお湯を張る。オットは長風呂ではないが、お風呂に浸かるのが好きなので喜んで毎日お風呂に浸かっている。オットは熱いお湯に浸かるのが好きなので、私がそのお湯に入ると「あっちっち」となってしまうのだ。そして一分くらいで出てしまう。 娘はちょっと乾燥肌なので(私も乾燥肌である)木酢液がいいと聞いて、赤ちゃんの頃から木酢液をお湯に入れている。これがすごく肌がつるつるすべすべになるのだ。私はオットが娘をお風呂に入れてくれている頃は全く湯船に浸からなかったのだが、ある日オットの肌がつるつるすべすべになっている事に気が付いて驚き、その日から短いながらもお湯に浸かるようになった。おかげで肌がつるつるである。でも木酢液の入っていないお湯なら…今でも入らないなあ。特に夏、暑くて毎日シャワーでいいという感じ。 もうすぐ出産であるが、産後は一ヶ月ほどお湯には浸かれない。私には全く困らない事であるが、木酢液効果がなくなるのが残念。せめて毎日お湯を洗面器でくみ出して体にかけようと思っている。 あぁそれにしても…昔は玉のように水滴がころころと落ちていった肌なのに、さすがに吸収はされないものの、玉の水滴ではなくなった事が悲しい。もうお肌の曲がり角は過ぎてしまってずいぶんたってしまった。 |
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2004 May 20 |
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水 |
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今日オットが浄水器を買ってきた。私が一人暮らしを始める時に実家に眠っていた浄水器を持ってきて、かれこれ10年近く使っていたが、半年ほど前に壊れた。その後DIYショップで使い捨ての濾過フィルター付きのを買って使っていたのだが、今回のはちゃんとしたメーカーのやつである。(私が初代使っていた所と同じメーカーだった)
オットは早速試飲するなり、「さすが浄水器だねえ」と一言。「おいしいの?」と聞くと、「まずくない」との答え。ふぅ〜んと思って私も飲んだが、日頃水だけで飲むことのない私にはイマイチぴんと来なかった。 オットはかなり水が好きである。自動販売機でも水を買うことがある。私は水なんて買った事がない。高校時代はお茶ですら買うのが嫌だった。どこででも飲めるものより、ミルクティとかカフェオレが好きだったので、もっぱらジュース専門。お茶を買うようになったのは、妊娠してつわりの頃が初めてではなかろうか?なんだかもったいない気がしたのだけど。今ではお茶はよく買うようになった。食べ物の味を変えないし、喉が渇いた時にはいい。でも水はやっぱり買わない。 私にはそもそも水の違いが分からない。以前名水と水道水をコップに入れてオットに試したが、オットは見事に当てて、私は分からなかった。名水100選にも選ばれているわき水が車で二時間ほどの所にあるが、いちお「おいしいなあ」とは思う。でもホントの所よく分からない。味覚音痴なのかな。 オットは東京暮らしがあった。それからこっちに帰って来て「水がおいしくない」と思ったそうだ。東京でミネラルウォーターなどを買っていたわけじゃないらしいのだけど。。。 私は実家のある市の水が苦手である。これは飲んでも分からないのだけど、帰ると必ず手の湿疹が悪化するのだ。どうもカルキが強いらしい。おかげで地元の友達には手の湿疹がある子が多かった。妹もその一人である。飲んでは分からないが、皮膚には敏感な私。今まであった氷を全部捨てて浄水で作り直しているオットを見て、やはり「ふぅ〜ん」と思うだけなのである。 |
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